日本版
本書概要
- 撮影
- 1962~1984年
- 出版
- 日本版 神々の原風景 1985年(定価28,000円)学習研究社
■我々が生活の場としているこの地球が、これほどまでに鮮烈で、荘厳で驚異の惑星である事実を、夜明け前から日没後までの一日を通して、地球を一周した形で、しかも『地球再発見による人間性回復へ』の哲学と思想のもとに一冊の著作に完結した。20数年かけてその思想や理念を写真で表現したのは写真史上初めてといえる。
収録作品
デス・ヴァレー黄変
黄砂風紋
モニュメント・ヴァレーの
日の出
岩塩平原
デス・ヴァレー赤変
本書のあとがき
人間らしさへの回帰のために
海外旅行が自由化されるずっと以前、今から23年前の1962年、たった一人での世界一周の旅の途次スイスのリッフェル湖畔で見た真赤に朝焼けしたマッターホーンは、まさしく仏教でいう〈彼岸の世界〉、浄土の風景であった。写真をとることも忘れて棒立ちになる光景が現実に存在した事実に脳天を割られるような衝撃を受け、帰国後プロとして独立してただちにアルプスに引き返し、6年のあいだ山にこもって、モンブラン、マッターホーン、モンテローザなどの名峰はほとんど登り、名だたる氷河も含めてヨーロッパ・アルプスの全域をくまなく旅した。
4000メートルの稜線から眺める世界を朱に染めた日の出や日没の風景は荘厳の極みであるし、氷河から見上げる純白の針峰もただただ凄いと日夜感動の渦にひたっていた。それまでの自分の人生観や価値観が音を立ててくずれて行くのを感じるほど、これまでの人生は何であったのかと厳しく問いつめずにはいられないほど、アルプスは圧倒的な量感でせまって来た。
当時まだ二十歳代の血気盛んで全くの無神論者であった私に、それが何を意味するものであるのか何もわからなかった。ただ、アルプスに入って二年目頃から、これほどに鮮烈で荘厳な風景がこの地球上にあることを本当に認識している人間がいったい世界に何人いるであろうかと考えるようになった。
次いで1967年から、7000メートル峰が林立する、人里から完全に隔絶されたヒマラヤを旅し、幾度となく死線をさまよって、風景と神とが自然に結びついて行ったのである。ただし私のいう神とはヤーウェとかアラーのような神だけでなく、人間一人一人が心の中に持つ神であり、神と書くことが適切であるかどうか、天といってもいいし神といってもいい、つまり自然とその背後の宇宙に遍満する偉大な精神の存在を指している。
『ヒマラヤ』以後、私の写真ははっきりと目標を持った。それはこの地球という名の惑星を感動的に撮ることであり、しかもそれが神々の風景であることを基本的に条件づけられた写真とすることである。それは300万年昔、我々の祖先である猿人が初めてこの地球上に現われたとき、彼等はそこに何を見たであろうかという発想からスタートする。彼等はこの地球上の原初の風景を、ただの物として見たのでは決してないのである。彼等は、自然とその背後の宇宙にある偉大な精神の存在を信じてこれに対して畏敬の念を持ったがゆえに、彼等が宗教心を持ったがゆえに、偉大な精神的発展をとげて人間になったのである。アインシュタインは「宇宙的宗教感情」という言葉を使ってこれを説明している。宇宙の秩序と統一とに対する根本直観にもとづく畏敬の感情である。宇宙の背後にある精神的な存在とのかかわりあいと、それに対する畏敬の感情がなかったならば、人間は今日のような人間にはならなかったであろう。現代においてはそのようなものは失なわれてしまったとされるのだが、私は人々の心の深層に必ず存在するであろうと思う。そうでなかったなら、もし人間が単なる物質的存在に過ぎないならば、人間の尊厳とか人権という概念は成り立ち得なくなる。
だから私の仕事は、300万年の昔に地球上に現われた猿人が見たであろうこの惑星の感動的な原初の風景を、写真によって現代に感動的に紹介することにある。ヒマラヤ以後、特にアメリカでは、手つかずの自然、原初の風景ばかりを徹底的に追った。単なる美しい風景写真にとどまらず、ただ造形的にすぐれた写真にとどまらず、その風景の背後に精神の存在を感じさせる写真を終始一貫してねらっているのではあるが、あるいは表現しようとするものの高みに比して自分自身の精神が低いためか、あるいは表現がつたないためか、イメージやアイデアは確固としてあってもそれが現実に意図した写真になかなかなり得ないのが残念である。
だからといって手をこまねいているわけにもゆかないであろう。最近のバイオテクノロジーの進歩一つを取り上げても、同一人物を何万人でも簡単に製造できる時代が間近であるという。今に地球上は、科学技術ばかりが発達してそのために却って精神性の発達が阻害され、宇宙の背後にある精神の存在を忘れ畏敬の念をも失って慢心した人間という動物が、自ら作り出した文明に支配される恐ろしい世界になりつつあるように思えるのである。人間は若い動物である。人間はいまだ人間になりつつある存在であることを謙虚に認識しない限り、人類に栄光の明日はない。人間性の回復、人間の魂の復興が今ほど切実に叫ばれる時代は、人類の歴史上かつてなかったことだけは確かであろう。現代社会における精神の荒廃をも含めて、それは神を忘れたところにすべての根源があるように思えてならない。
神を想い畏れを知る人間らしさへの回帰のために、私が目にし私が写真に捉えたこの原風景が、端緒の一つになってほしいという大きな願いをこめて、この作品集をあえて世に送る次第である。
(1985年6月)