中国大陸

5,500キロに及ぶ大山脈を撮影するため、チベットの全軍管区から世界初の撮影許可を取得

  • 表紙
    日本版上巻

  • 表紙
    日本版下巻

  • 表紙
    イタリア版

  • 表紙
    スペイン版

本書概要

撮影
1981~1984年
出版
日本版 中国大陸上巻(悠久の山河)1984年8月(定価28,000円)小学館
日本版 中国大陸下巻(天壌無限)1984年9月(定価28,000円)小学館
※上巻下巻ともに6刷以降35,000円
イタリア版 VISIONI DELLA CINA 1993年 FENICE2000社
スペイン版 PAISAJES DE CHINA 1993年 ANAYA社

■中国国内をこれほど広範囲に撮影した人間は白川以外にいない。特筆すべきはチベットの全軍管区から世界初の撮影許可を取得して、中国国境に立つヒマラヤ、カラコルム、パミール、天山山脈など、5,500キロに及ぶ大山脈を中国側から初めてすべて撮影した。これもまた前人未到の仕事であった。国名をあげるならば東からミャンマー、ブータン、シッキム(当時は存在した)、ネパール、インド、パキスタン、アフガニスタンの一部、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、ロシアである。

▲とじる

収録作品

上巻
  • 内容写真01
    碧蓮峰からの漓江

  • 内容写真02
    奇峰山

  • 内容写真03
    楊堤朝焼け

  • 内容写真04
    峨眉山金頂の雲海

  • 内容写真05
    長城無涯

下巻
  • 内容写真06
    チョモランマ(エベレスト)北壁

  • 内容写真07
    黄河故城

  • 内容写真08
    火焔山

  • 内容写真09
    チョゴリ(K2)

  • 内容写真10
    チョゴリ残照

▲とじる

上巻あとがき

(前半略)

『中国大陸』はこれまでの地球再発見シリーズの目的のほかにもう1つ、この仕事が結果において両国の友好親善に寄与したいとのねらいと願いがあった。日中両国は一衣帯水の近さにある。そして大国である両国が平和でない限り、アジアに平和はなく、世界にも平和はない。簡単に考えただけで今日日中が極めて友好関係にあるからこそ、日本は心おきなく他国との対外外交を推進できるのであって、これが反対なら、外交は毎日試練の連続であろう。中国にとっても同様と思われる。そして友好は相互を理解するところから始まる。私は世界133か国を撮影取材した経験から、国民性や習慣や言語まで、その風土と不可分の関係にあると信じるに至っているが、私の信念からするなら、中国の風土を忠実に日本国民に伝えることが、基本的に重要だと考えるのである。願わくば、このつたない仕事が、日中友好に何らかの役に立つならうれしいことである。

中国は現在誰でも知っているように社会主義共産主義国家である。しかし私の『中国大陸』は今日の体制とは何の関係もない。徹頭徹尾「永遠の中国」を撮った。地球の歴史はすでに45億年ある。たかが知れた人間の歴史や国家体制を超えたところに、私の仕事がある。

かつて『アメリカ大陸』の英語版をニューヨークで出版することになり、数10点のプリントを持って出掛けたが、見終わったとたん関係者全員が、異口同音に“エターナル・アメリカ(永遠のアメリカ)”と言った。

本のタイトルは瞬時にして決まったが、私はニューヨークの摩天楼やシカゴのマフィアなど、私が表現する作品対象としては全く関心なく、徹底的に永遠のアメリカを撮った。自然はちょこざいな人間の思考など超えて偉大な摂理を持っている。

北京空港での入関手続きや、取材許可の取得その他の点で、彼我の制度の違いによる幾つかの小さな出来事があった。つまり、我々は道理と考えることが、中国では通用しないことがあることを知った。それはそれとして、「取材紀行」や「感謝のことば」でも述べたように、この仕事の完成には、日中双方の多くの方々の暖かいご協力を得た。改めて謝意を表する次第である。

『中国大陸』は、今日の体制とは関係なく、私の心に映った永遠の中国を撮影したものであることを明記しておきたい。

日本では中国というと、感情的中国擁護論と、共産主義国家ということで忌避する側に分かれるが、日中友好は必要であり必然であるから、両者ともに不幸なことだと、私は思う。日中の友好関係は唐代以来再びはなばなしくスタートしたが、将来を考えるならば、互いに媚びることなく、片方が一方的に利益を上げるような付き合いでなく、お互い是々非々、堂々と筋を通した交際でなければ長づづきもしなければ、発展もしない。

『中国大陸』が中国理解に何らかの役に立ち、ひいてはそれが日中の親善友好に幾ばくかでも貢献するなら、これに過ぎる喜びはない。

▲とじる

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PROFILE

1935年愛媛県生。
日本大学芸術学部写真学科卒、
ニッポン放送入社文芸部
プロデューサー、フジテレビを
経てフリー写真家。

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