日本版第一巻
日本版第二巻
日本版第三巻
本書概要
- 撮影
- 1981~1987年
- 出版
- 日本版 仏教伝来第二巻-シルクロードから飛鳥へ-
1986年7月(定価38,000円)学習研究社 - 日本版 仏教伝来第一巻-インドから西域へ-
1987年5月(定価38,000円)学習研究社 - 日本版 仏教伝来第三巻-インドから南海諸国へ-
1987年10月(定価38,000円)学習研究社
■これまでの仏教写真集はすべて仏教美術写真集であったが、この『仏教伝来』は仏教を精神文化として真正面から取り上げた初めての写真集である。釈尊が生れたルンビニーから日本の飛鳥まで、仏教伝来の道中における重要な舞台を仏教哲学の権威中村元氏が選定し、その547カ所の聖地(12カ国)を白川が7年かけて実際にそのすべての地点に立ち、徹底的に撮影して全3巻に収録した。これほど多くの仏教遺跡に立った人間は歴史上他になく、この仕事もまた前人未到の仕事となった。
収録作品
ルンビニーの夜明け
ブッダガヤー大塔旭日
ムスターグ・アタ山麓
アジャンター石窟第一窟
僧院窟内部
ミンピャー・クー寺院より
パガン大平原早暁
本書のあとがき
第一回配本(第二巻)
今日地球上に棲息する動物の種類は百万種を越えるといわれる。その無数の動物の中で、人間だけがなぜかくも偉大な精神的発展をとげたのであろう。人間と動物を分ける違いはいったい何であろうかと思う。サルがヒトになったのは、我々の祖先である猿人だけが宗教心を持っていたからではないであろうか。つまり、宗教心を持っているかいないかが人間と動物を分ける唯一絶対の違いではなかろうかと考えるのである。
三百万年昔、我々の祖先である猿人がこの地球という名の惑星に現われたとき、彼等はこの惑星に何を見たであろうか、私の仕事はそこからスタートする。彼等は白雪をいただく山や砂漠や峡谷を、岩や砂が堆積したただの"無機質的物"として、ただの物質的存在として見たのではない。彼等はその自然と自然の背後にある宇宙に、彼等の力の遠く及ばない絶対的な偉大な精神の存在を感得し、その存在に畏れの念を持ったのである。敬虔の祈りを捧げたのである。アインシュタインの言葉を借りるならば、「宇宙の秩序と統一とに対する根本直観にもとづく畏敬の感情」(谷川徹三氏訳)を持ったのである。しかして人類は偉大な精神的発展をとげることとなる。私はこれを原始宗教の一つの成立とみる。
そして私は今、今日の人間にとってこの原始宗教こそが必要不可欠の要因であるとの信念から、プロ写真家として独立して、二十四年間、終始一貫して「地球再発見による人間性回復へ」のテーマのもとに三百万年昔猿人が見たであろう鮮烈荘厳な原初の風景を撮り続けて来た。『アルプス』も『ヒマラヤ』も『アメリカ大陸』も『聖書の世界』も『中国大陸』も『神々の原風景』も、一つとして例外はない。
それは猿人が見たであろうこの惑星の原初の風景を人々に感動的に伝達することにより、猿人が感得したであろう自然とその背後の宇宙に遍満する巨大な精神の存在について思惟する人が一人でもふえてほしいとの私のささやかな努力であり願いであった。
日本においても、今日でも猿人が見たであろう原初の風景を容易に各地で見ることができる。例えば10月のはじめ北アルプスは穂高岳の麓、涸沢に入ればよい。紅葉の名所で、10月になると木々がいっせいに黄色くなる。それが二、三日の間に全山燃えるが如く真赤になり、そして一週間後に新雪が来る。一夜明けると葉は完全に落ち、穂高連峰は一瞬にして真黒に暗転している。誰しも自己の人生をふり返らずにはおかない強烈な衝撃を受けるであろう。今日の人間は感動的な日の出や日没の太陽を見ることもなく、こういった体験が皆無であるから、自然の不思議に畏れる心を失ったのである。今日の世相に見る精神荒廃の根源がここにある。
私自身は、二十四年昔、たった一人で八か月間の世界一周の途次、スイスの夜明けのマッターホーンの一瞬の風景に「彼岸の世界」を見て、価値観も人生観も音を立ててくずれてゆく中で生涯をこれにかけると決心して、勤めていたテレビ局を辞して写真家として独立した自己の体験からも、自然はただの物ではなく、霊気を放射する偉大な精神の存在が確かにあると信じている。だからこそ、『アルプス』にせよ『ヒマラヤ』にせよ、一作ごとに15キロも20キロも痩せながら、なお写真を撮らせずにはおかない底知れない深い、また崇高な何かがあるのだ。
私の仕事が「人間性回復へ」を目的としているならば、原始宗教から一歩踏み出し、例えば、ユダヤ教やキリスト教や仏教にかかわるのは当然のなりゆきであった。すでに「聖書の世界」三部作(『新約聖書の世界』『キリストの生涯』『旧約聖書の世界』)では神と人間と悪魔の三つどもえのドラマの中で、またその舞台の上で、人間にとっていかに信仰心が必要不可欠であるかを表現し訴えた。そしてこのたび『仏教伝来』全三巻で同様に「人間性回復へ」を目的として、東洋の風土におけるもう一つの偉大な宗教、仏教を通して信仰心がいかに"人間"をつくっていったか、人間精神の発展にいかに重要にかかわっていたかを克明に記録し表現した。
私のいう神や仏はあくまでも、人間一人一人が自己の心の中に持つ独自の神であり、仏である。キリスト教にせよ仏教にせよ、それが集団になったら最後、そこには当然の帰着として上下関係が生じ、階級組織に組み込まれ、人間性の抑圧さえ生じかねない。
私が原始宗教を重視する理由がここにある。しかし同時にまた再びくり返すならば、人類の大多数に多大の影響を及ぼしてきたこれらの宗教を素通りすることは私にとって許されるわけはなく、仕事の目的からするならば真正面から是が非でも取組まなくてはならない重要な使命があった。
人間性の回復がこれほど切実に叫ばれる時代は人類の歴史上かつてなかった。人間性とは人間らしさである。それは人間の良識や理性や知性であるが、もう一つ言葉では表現できない人間の魂も含まれている。それは現代社会に見る精神荒廃と、それよりも、人間が生み出した文明に人間みずからが支配されるやも知れぬ恐ろしい現実にある。例えば、バイオテクノロジーは同一人物を何万人でもいとも簡単に製造できる時代になりつつあり、巨大科学はそれ自体一人歩きを始めるが、科学には人間のような自己抑制の機能がない。科学の先を予測する高度の予見性と高邁な精神性が求められている。だからこそ今日人間性回復が声高く叫ばれるのである。人間性回復なくして人類に栄光の明日はないのである。
この私のつたない仕事である『仏教伝来』が人間精神とは何か、人間が生きるとはいかなることであるのか、人間性と魂の復興について思惟する端緒の一つになってほしいとの心からの願いをこめて全三巻にまとめ、世に送る次第である。
(1986年4月)
第二回配本
いま、なぜ仏教伝来か、については昨年出版した「仏教伝来」第二巻(第一回配本・シルクロードから飛鳥へ)のあとがきで記述した。今回は内容が重複しないよう稿を進めるが、ただ前回、人間性回復がこれほど切実に叫ばれる時代は歴史上かつてなかったと書いたくだりで、核やバイオテクノロジーなどの巨大科学はそれ自体一人歩きを始め、科学には人間のような自己抑制の機能がないから、だからこそ、今日の人間に高度の予見性と高邁な精神性が求められていると書いた。そして、ここに一言補足したいのである。実は数週間前にカンボジアを旅して、クメール・ルージュの一派である極左のポルポトが権力を握っていた間、同国で三百万人以上が虐殺されたといわれ、その収容所や処刑現場を見て廻った。畠の中の掘立小屋に棚が作られ、そこに数千のおびただしい白骨が並べられていた。共産主義は神や信仰を否定する。人知の遠く及ばない絶対的な精神の存在を認めない。つまりそこには畏れを持つ対象が存在しない。だから人間として越えてはならない一線がないのである。権力者は容易に自分自身が神になり、絶対的存在になり得る。だから何百万人でも簡単に虐殺できるのである。虐殺事件が共産主義国家に多いのは、自己抑制の機能が有効に働かないからである。そこに神や仏や、つまり絶対的な精神の存在がなく、畏れの念がないから何でも簡単にやってのけられるのである。白骨の山を見ながら私の「地球再発見による人間性回復へ」という思想と、それを基本理念としたこれまでの仕事は決して間違ってはいなかったと、カンボジアの旅はその一端を実証してくれたような思いであった。
「仏教伝来」の撮影は1981年からスタートしてつい先日2月上旬に七年間に及ぶ全日程を消化して完了した。この間、アジアにおける主要な全仏跡を旅した。国名を上げるとネパール、インド、パキスタン、スリランカ、ビルマ、タイ、ベトナム、カンボジア、インドネシア、中国、韓国、日本、となる。そして仏教の多様さに今更のように目を見張る思いであった。
仏像一つを取り上げても例えばパキスタンのガンダーラ地方のものはほとんど口髭をたくわえて、一見してイラン人を思わせる。中には本巻に写真を収録したが、まさにギリシャ彫刻そのままで、モデルも明らかにギリシャ人の仏像がある。現地ではこれが正真正銘の仏教で何の不思議もないが、日本人の私には、まるで仏教というよりキリスト教のイエス像を見ているようであった。仏像を作ったもう一つの地方がインドのヤムナー河畔にあったマトゥラーでこちらの仏像は我々にも少しはなじめるのであるが、これも明らかにインド人の顔で日本の仏像とは造形も相当に異っている。つまり同じ仏教でありながらその地方によって、様式が当然のように違っている。
私は以前から国民性や言語も含めて、その地方の風土がその地の人間を作ると考えているが、中でも宗教はその象徴のように思うのである。一木一草ない茶褐色の岩山と果てしなく大海のように広がる砂漠と、人間の生存を拒否するような厳しいシナイ半島から、激しい一神教であるユダヤ教が生まれ、そのユダヤ教を越えていったイエスは美しいガリラヤの人であったことを考えるとき、それらの教えは、まさに風土そのもののように思えてならない。
仏教ももちろん風土そのままに全アジアに多彩な相貌をもって花開いた。当時西方にして世界との交易によって得た巨万の富を背景に、デカン高原の岩山を掘削して造営した豪華絢欄たる石窟寺院も、デカンの風土に開花した巨大な仏教文化であった。そしてデカンを中心とするインド以外、このような石窟寺院は全アジアにほとんど見当らないのであるから、デカンの独自の風土が独自の仏教を形づくったと考えるのが自然であると思う。
ビルマのパガンには半砂漠の平原に今でも数千の仏塔が立っている。当時は緑したたる森林の中にあった。それらの木材が、仏塔建立の資材となり、また無数のレンガを焼く燃料ともなった。インドネシアのボロブドールは近くの火山から流れ出した溶岩を材料として、ある規格のもとに切り出した石積みの仏塔である。各々その地方の材料を使っている事はもちろんであるが、それよりも重要な点は、仏塔の形態がいずれも独自であることだ。それはその地方の風土が作り出した宇宙観や価値観にもとづく結果であると思う。ごく単純に考えて、ボロブドールにパガンの仏塔群を置いたらどうであろう。遠くの活火山との調和は必ずしも自然とはいいがたい。反対にパガンの平原にボロブドールの仏塔を重ねたら、これも漫画のような風景にしかならないから、人間の思考は神の摂理には遠く及ばないまでも、ある程度は的を得ているから面白い。
中国でも黄河の北と南では、風土の違いそのままに仏教の形も違っていた。そして結局近年になって、北は仏教よりもイスラムにとってかえられたのは、風土の違いによると考えるのが自然であると思う。ヒマラヤの向こう側とこちら側では、同じ仏教でもその形態が違うのは当然といえよう。その端的な例がヒマラヤの高地を支配している独自のチベット仏教=ラマ教である。
今日の仏教伝来の撮影で初めてスリランカとビルマに入国したから、私が旅した国はこの25年間に136か国になった。撮影が仕事の旅であったから通常の観光客が立ち入れない場所も許可を得て見たり、シナイの砂漠で星をあおいで寝たり、ヒマラヤの稜線から日の出や日没の太陽を眺めたり、撮影が目的であるから、小型機をチャーターして数千回空中からもこの地球をつぶさに観察した。「アメリカ大陸」の撮影だけで、小型機を200回チャーターし、600時間飛んでいる。そして風土が宗教や人間形成と不可分とする結論に至っているが、今度の仏教史跡をめぐるアジアの旅も、私の思考を一つ一つ実証する旅になったように思えるのである。
(1987年3月)
第三回配本
これまでにも仏教を取り上げた、または仏教を対象とした写真集は数多く出版された。しかし、それらのほとんどが仏教を仏教美術の視点から紹介したにすぎなかったと思う。7年間に及んだ今回の仏教史跡をめぐる旅で、インドやパキスタンやその他の地で博物館を訪れ、仏教とそれにまつわる幾多の考古学的成果を目のあたりにする機会にも恵まれた。しかし陳列室に飾られた仏像は、すでに美術品としての品物であって、すでに人間の信仰心とは全く別の次元にしか存在していない。それがいかに貴重品で、高価なものであっても、それはしょせん品物である。これまでの仏教写真集は、それらの品物を紹介したにすぎなかった。
今回の『仏教伝来』全三巻には、博物館等に納められている仏像は一点たりとも収録していない。少なくとも金銭的価値でしか評価されないもの、つまり美術的価値とは、突きつめればそれは経済的価値に帰着するわけで、人間の信仰とは無縁で金銭上の価値が優先される、または大部分を占めるたぐいの仏像は、いっさい本巻からは省いたのである。
私の『仏教伝来』全三巻では現にその場にある仏像のみを収録した。なぜなら仏像というのは、その風土と切るに切れないつながりの中で存在しているからである。民族性や国民性は風土の表出であるとするのが私の持論であるが、宗教はその象徴であると思う。たとえば口髭をたくわえたガンダーラ仏を日本の奈良に持ち込んだとしても、信仰の対象にはなりえない。竜門第三窟賓陽中洞の釈迦如来は、伊川が流れる崖の中腹にあるべき姿としてあるから尊いお顔をしているのである。また楽山の弥勒大仏は三大河の合流点にあって水深深く、水流速く昔から水難事故が絶えることがなかったからここに座しているのである。大仏の前を流れる大河を往来する水上生活者には、この大仏はなくてはならない尊い存在であって、彼等の祈りがこめられているこというまでもない。
つまり仏像一つでも実際に存在する現地で、風土もろとも撮らないかぎり、そこに住む人間の想いや願いや祈りは表現し得ないこと当然である。
仏教伝来ではそれらの風土を出来得るかぎり克明に紹介するよう努めた。釈尊の生涯における風土、その後インド亜大陸で、特に仏教が華麗に花開いたデカン高原やマトゥラーやガンダーラや、またヒマラヤ山中のラダックやチベットなどの風土、そしてその風土の中に生活する人々が、仏教といかに深くかかわって、いかに人間が高められたか、深められたか、その回答に迫る写真を撮るよう心がけた。つたない仕事で終わってしまったが、少なくともこれまでのような仏像美術品写真集ではなく、信仰を通して人間が仏教とどうかかわり、人間精神がどう高められたか、どう深められたのか、仏教を精神文化の視点から取り上げて、精神風土を克明に映像化したわけである。
ただ仏教というのは想像を絶した広がりを持っていてとりとめがない。かつて『聖書の世界』全三巻で、ユダヤ教とキリスト教を写真で取り上げた経験があるが、ユダヤ教には旧約聖書があり、キリスト教には新約聖書があって、何人も否定することのできない聖書という厳然とした原点があった。この原点を徹底的に研究していけば、ある程度の可能性が見えてきて、先が明るくなるが、仏教にはその原点となるべき決定的仏典がない。反対にあるといえば今度は数百もあることになる。それは各宗派の経典である。たとえば真言宗における仏事のお経など聞いていると、これは仏教というよりまさに弘法大師教であって、御詠歌なども弘法大師讃歌である。他の宗派も大同小異であろう。そしてこれらの仏典にしたがえば、それは特定の宗派による仏教伝来になり、客観性を失うこと必然である。ここらあたりが、この仕事の基本的困難の一つといえる。
次には学説的違いによる困難がある。たとえば、釈尊が青春時代を過ごしたカピラ城がどこにあるかについて、今日有力な説が二説ある。一つはネパールのティラウラコートであり、他の一つはインドのピプラワーである。不思議なことに仏教遺跡の発掘は仏教徒ではなく、そのほとんどが西洋のキリスト教徒によるものであった。そしてカピラ城は今日いまだに同定されないままになっている。最大の原因は、カピラ城について法顕と玄奘の記録に決定的違いがあって、同定でき得ないのである。反対にいうならば法顕と玄奘は、それほどまでに克明な記録を残したからこそ偉大なのである。今日仏跡の発掘と同定に両者の記録はそれこそ決定的な割合を演じている。そして専門家が同定出来得ないものを写真家の私に出来るわけがなく、学説の違うものについては、平等に両者を収録せざるをえず、決定版になし得なかったのは残念である。とにかく仏教は複雑なうえに、まるで無限大かと思われる広がりを持っていて一凡庸の写真家の遠く及ぶ所ではない。7年間無我夢中に勉強してはカメラを持って必死になって対象に迫ったが、結局この程度に終わってしまった。心残りではあるが、中国撮影の5年間で18キロ痩せ、その後の2年間で再び15キロ、合計、7年間の仏教伝来の撮影で33キロ痩せながら、岩にかじりつく思いで根かぎり頑張った。7年間いっさい酒も絶ち自分に行を強いた。満足には程遠い結果ではあるが、やるだけのことはやったという自負はある。1962年秋、スイスのリッフェル湖から見た真赤に朝焼けしたマッターホーンの風景に彼岸の世界を見たように思い、プロ写真家として独立して、「地球再発見による人間性回復へ」を基本理念として撮影を開始してから、今年が25周年である。4半世紀の節目の年に人生最大の仕事が完結して、何よりの喜びである。氷の山や炎熱の砂漠の中で25年間無事に生かしてくださった神仏と、私をここまで育ててくださった仕事の協力者と読者に心からの感謝を捧げる。
(1987年9月)